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【2025年】「音の無いサッカー」世界一へ  日本代表キャプテンは福岡出身 日本初開催のデフリンピックへ決意

2025年1月11日 7:26
【2025年】「音の無いサッカー」世界一へ  日本代表キャプテンは福岡出身 日本初開催のデフリンピックへ決意

2025年は、4年に1回のスポーツの祭典「デフリンピック」が日本で行われます。デフリンピックとは、聴覚に障害のある選手たちがプレーする世界大会のことで、その歴史はパラリンピックよりも古く、ことし100周年を迎えます。デフサッカー日本代表のキャプテンは福岡県出身です。勝負の年を迎えたデフアスリートの決意とは。

1月2日、福岡市内から車でおよそ4時間。鹿児島県の市来(いちき)神社を訪れていたのは、福岡県宇美町出身の松元卓巳選手(35)です。

市来神社には日本サッカー協会公認の絵馬やお守りが置かれ、多くの強豪チームや代表選手が必勝祈願に訪れます。

■デフサッカー男子 日本代表・松元卓巳主将(35)
「2025年東京デフリンピックで世界一をとることに全部をささげて、(2025年を)喜んで終えられたらいいなと思っています。」

難聴の選手たちがプレーするデフサッカー。

■松元主将
「全然聞こえていない。唇を見て会話をしています。」

競技中の不公平さをなくすため、選手たちは補聴器を外してプレーするのがルールで、そのほかは通常のサッカーと同じです。そのため「音の無いサッカー」とも呼ばれています。

■デフサッカー日本代表監督
「キャプテンとして、きょうから松元卓巳に託したいと思います。」
■松元主将
「2025年、俺は本当に世界一になりたい。みんなにも同じ覚悟をもって、一緒に戦ってほしい。」

松元選手は、日本代表のキャプテンを任された2年前、「世界一」を目標に掲げました。2023年に行われたデフサッカーワールドカップでゴールを守り、日本代表は強豪を次々と撃破。史上初の準優勝を果たしました。目標の「世界一」に向け、順調に階段を登っているように見えました。

しかし大会後、松元選手の姿は病室のベッドにありました。実は、ゴールキーパーの生命線でもある肩の腱を断裂しながら、ワールドカップを戦い抜いていたのです。4時間の手術を乗り越えた後には、先の見えないリハビリ生活が待っていました。

■松元主将
「自分の力でも腕が上がらない。補助をしたら上がる。伸ばせない。」

そんな厳しい状況でも、松元選手には欠かさず取り組むことがありました。

■松元主将
「手のひらを合わせて繰り返す、デフリンピック。」

ことし11月に、東京で初めてデフリンピックが行われます。難聴のアスリートたちが世界中から集う国際的なスポーツ大会ですが、その認知度は16.3パーセントと低いのが現状です。

松元選手は、難聴やデフスポーツについて知ってもらうため、長年、活動を続けています。

12月に行われた代表戦ではケガを乗り越えスタメンに復帰し、アジア制覇に大きく貢献。存在感をアピールしました。

東京デフリンピックが行われる2025年、松元選手がスタートの地に選んだのは、高校時代を過ごした鹿児島県です。

■高校時代の恩師
「(出会ったのは)もう18年前かな。真面目な生徒だった。」

■松元主将
「2人に会っていなかったら、デフサッカーもしていない。」

デフサッカーと出会ったのは、強豪として知られる鹿児島実業高校に通っていた時でした。恩師や、地元の中学生たちと「初蹴り」です。

日の丸を背負う時とは違って、この日だけは純粋なサッカー少年に戻ります。

■松元主将
「この土のグラウンドで初心に戻るみたいな。デフサッカー日本代表に関わることになったのは鹿児島に来たおかげ。サッカーに関して初心にかえるのは鹿児島かなと思って、だから毎年ここから始めたいという思いがある。」

勝負の年がいよいよ始まりました。代表歴18年目のキャプテンには、「世界一」の先に目指すものがあります。

■松元主将
「ずっと僕自身の大きな夢であり今は目標になっている、デフリンピックで世界一を目指す年。難聴の人やたくさんの人が生きやすい社会にしていきたいので、今まで以上に強い覚悟と責任をもって挑みたいと思っています。」

※FBS福岡放送めんたいワイド2025年1月6日午後5時すぎ放送

最終更新日:2025年1月11日 7:26
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