大久保嘉人、サッカーのプレーと類似?「もうぶつけてもいいんだ」暴れん坊ストライカーの愛車の扱い
■“サッカー選手は夢がある”『メルセデス AMG S 63 4MATIC クーペ』
最初に紹介されたのは、現在も乗っている愛用車で2019年に購入した『メルセデス AMG S 63 4MATIC クーペ』。V型8気筒直噴ツインターボエンジンの圧倒的なパワーを心ゆくまで楽しめる、新次元のドライビングパフォーマンスを獲得した1台です。
今までで一番長く愛用しているという大久保さん。愛車のこだわりは、“グレードが高いものを選ぶこと”だそうで「子どもたちに“サッカー選手は夢があるな”って思わせたい」と語りました。
4人の子供の父親でもある大久保さんは、子どもにサッカーを教えたことがあるか聞かれると「僕が言うと『うるさい』とか『お前に言われたくない』とか言うんですよ。性格も似てるから自分の経験を伝えているんですけど『黙れ』とか」と意外にも子どもからは反抗的な言葉が返ってくることを明かし、「黙るしかないんですよ」と笑って話しました。
■車好きの父親の愛車『日産 ブルーバード』
2台目に紹介されたのは、大久保さんが子どもの頃に乗っていたお父さんの愛車で1991年にフルモデルチェンジした『日産 ブルーバード』。居住性・安全性・環境性能などに重点を置いていて、大久保さんが乗っていたのは9代目モデルです。
2013年に父親を亡くした大久保さん。お父さんは車好きだったそうで「それまでは軽自動車しかなかったんです。でもこれを買ってきて、超自慢してきて。車にはうるさいんで、(子どもが)ガラスとか触るじゃないですか。めちゃくちゃブチギレするんですよ」とお父さんのエピソードを明かしました。
また、お父さんの運転でサッカーの試合に行く時にいろんな言葉をかけられたことについては「“絶対に負けるなよ”とか“やられたらやり返せ”とか。それまでは僕全然負けず嫌いでもなんでもなかったんですよ。お父さんがそうやって言うんで、そこから変わりました。褒めてもらおうっていうふうになっちゃって」と大久保さんのプレーの原点を語りました。
2010年に日本代表として初めてワールドカップに出場。大久保さんは1994年のワールドカップ アメリカ大会で初めてワールドカップを見たそうで「父から“お前は大きくなったら絶対これに出ろ”と言われて僕の夢になった」とお父さんがきっかけであることを話しました。さらに「(ワールドカップが)夢でしたからね。入場した時、国歌を歌う時はやっぱりジーンときましたね」と当時の気持ちを語りました。
■プロのサッカー選手になって初めて手に入れた愛車『BMW 3シリーズ』
第4世代へフルモデルチェンジした『BMW 3シリーズ』。なめらかなシルエットが特徴的でボディーサイズの拡大化により十分な空間が与えられました。
18歳でプロのサッカー選手になって免許を取得する前に、お父さんからのすすめでBMWを購入。免許取得後はすぐに車に乗って大阪へ向かい、“プロになったんだな”と実感したそうです。大阪では一本のたんぼ道で軽自動車と対面。その時のことについて「『どうしよう!』と思ったら、ちょっと抜けるところがあったんです。そこにいれてよけた瞬間に(車の前方半分が)もうバキバキです。速攻ぶつけました」と失態を明かし、続けて「でもそこから吹っ切れましたね。もうぶつけてもいいんだって」と大久保さんらしいエピソードを話しました。
また、2004年に大久保さんがスペインに行く際、この車をお父さんに譲りお父さんにとって最後の愛車となったそうで「(お父さんは)車が好きなんで。僕はぶつけてもそのままじゃないですか。でもお父さんはしっかり点検とか、自分で手洗いで洗車とか。すごい大事に乗っていました」とお父さんの車好きが伝わるエピソードを話しました。
■様々な転機があった愛車『キャデラック エスカレード』
二男や三男が誕生し、初めてのワールドカップに出場した時期に5年間使用していた愛車。この頃移籍した川崎フロンターレでは、2015年まで3年連続で『J1リーグ 得点王』となりました。
引退した時には『J1リーグ 通算最多得点記録 191ゴール』という記録を残し、そのことについては「最初はそんなにとれると思っていなかった」と話し、大久保さんはイエローカードやレッドカードが多く、計算するとトータルで2年間出場停止だったそうで「それが僕なんですけどね」と笑顔で現役の頃を振り返りました。
今後の夢について聞かれると「最終的には監督をやってみたいですね」と回答。続けて「選手と違って勉強をしないといけないので、勉強をして『よし!いけるぞ!』って思ったときにやりたいですね」と監督になるという夢を明かしました。
(1月18日放送のBS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴』を再構成)