緊急報告「豪雨被害の現場から」 来年春まで復旧できるのか 甚大被害の酒田市大沢地区
「緊急報告・豪雨被害の現場から」初日は酒田市の荒瀬川の氾濫で甚大な被害を受けた大沢地区と刈屋地区です。記録的な豪雨被害から10日余りが経過した今も復旧のめどが立っていない集落もあります。YBC酒田支社の佐藤嘉一記者のリポートです。
7月25日の豪雨で氾濫した酒田市の荒瀬川。川沿いにある大蕨、上青沢、下青沢、北青沢の4つを合わせた大沢地区が甚大な被害を受けた。上流部に位置する北青沢では、集落を流れる荒瀬川の支流、小屋淵川が濁流となってあふれ大量の土砂と流木が押し寄せた。
記者リポート「北青沢地区です。国土交通省のテックフォースメンバーが被災状況の確認を行っています」
小屋淵川は土砂で完全に埋まり、元は道路だった場所の上を水が流れていた。自宅の1階が半分以上土砂に埋まり、小型の重機や軽トラックが埋まった家屋も。この家に暮らす男性に当時の状況を聞いた。
青沢自治会 相蘇隆治副会長「25日は垂直避難、2階で避難しました。26日の午前6ごろかな自衛隊の人から『誰かいますか!』と。冷蔵庫とかタンスとかを足場にして玄関の方へやっと出ました」
25日昼過ぎ、川沿いの自宅から避難所へ向かった高齢の夫婦のうち、86才の妻が小屋淵川から荒瀬川へ流されとみられ行方不明に。
地区の同級生は「親父は割と丈夫だったが奥様は腰が曲がっていた。すごく時間が短く水位が上がってきた。ちょうどそのころ出てきたから手をつないでいたが離されて後は・・・夕方まで探していた。膝上までみな泥被って」
この女性とみられる遺体が7月31日、行方が分からなくなった場所から2キロほど下流で見つかった。遺体は橋に引っかかった大量の流木の中から消防の救助隊によって引き揚られた。現在、警察によって身元の確認が進められている。
8月1日午後、北青沢地区ではようやく停電が解消されたが、上下水道、電話などのライフラインの復旧の見通しは立っていない。
青沢自治会 相蘇隆治副会長「(自宅の復旧作業は?)人の手をかけて進むような所、現場ではありません。重機が入らなければ1ミリも進めませんね。仮設道路では、大型トラックも通れませんし重機も通れませんからね。来年春まで諦めています。」
膨大な土砂が集落を覆い片付けのボランティアを依頼することもためらう状況なのだという。集落の23世帯のうち地区内の避難所や自宅に、残っているのはわずか3世帯に留まっている。
青沢自治会 相蘇隆治副会長「だいぶ避難生活に慣れてきたとは思うんですが相談とかがあれば対応しなければいけないので自治会長1人では大変なので避難所に2人でいるという格好ですね。もうしばらく」
北青沢地区から荒瀬川の下流およそ7・5キロ。下青沢地区吉野沢で農業を営んできた相蘇弥さん。
消防団として出動した弥さんは、自宅前の白玉橋付近で酒田警察署の警察官と共に道路の崩落による国道344号通行止めの規制を行っていた。しかし、濁流と化した荒瀬川の水があふれ前後の道路が遮断。その場に取り残され、命の危険を感じる状況だったという。
相蘇弥さん「あそこは高い所だったのである程度は大丈夫かなと。ちょっと危なかったですけどね。道路にまで水が来ていたので最後は」
自宅1階には、荒瀬川から大量の土砂や太い流木が流れ込んだ。濁流は、相蘇弥さんの家の敷地を幅およそ15メートル、長さは5~60メートルに渡ってえぐり取った。作業小屋は流され家の基礎の一部は中に浮いた状態になった。
相蘇弥さん「いま道路復旧でまず奥までつなげるのが第一でしょうしね。復旧までだいぶかかるでしょうね。この流木の量だけは重機で運んで頂かないともう人力では手が付けられない状態です」
農業被害も深刻だ。大沢地区から13キロほど下流の酒田市刈屋地区。刈屋大橋の周辺はまもなく収穫期を迎える刈屋梨の産地となっている。
生産者・土井正幸さん「この辺は棚が壊れて根こそぎ持っていかれた。ここにも木があって実がなっていた。棚が持っていかれて木がすごいことになった」
土井さんは刈屋梨出荷組合長なども務め長年この園地で梨の栽培を行ってきた。園地の広さは1・4ヘクタール、しかしそのおよそ4割が流木や土砂に埋まったり梨の木がなぎ倒されたりして壊滅的な打撃を受けた。
出荷組合副組合長 佐藤広喜さん「どうしたらいいんだろうこれ」
生産者・土井正幸さん「とにかく行政に頼まないとこんなの皆してスコップ1本持ってきてやってたら何年かかるか分からんよ」
JA庄内みどりのまとめでは、刈屋梨の園地30ヘクタールのうち、およそ16ヘクタールで浸水などの被害を受けた。ボランティアなどの手を借りながら復旧作業が始まっている。しかし、大量の土砂と流木が堆積した川に近いナシ畑の復旧は、見通しが立っていない。
荒瀬川流域には、個人の力では太刀打ちできないほどの大きな爪跡がいたる所に残されている。被災者が、将来への希望を失ってしまう前に国や県などには復興への道筋を示してもらいたい。